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- @nifty:為末大オフィシャルサイト「侍ハードラー」:たかがスポーツ (via toronei)
2010-09-19 (via yasaiitame)
敢えて言いますが、離れてスポーツを見てみると、これが無くなった所で誰が死んでしまうでしょうか。ホイジンガの言う所の『たかが遊び』なわけです。
オリンピックなど、云わば、人類の壮大な遊びの祭典、人生を賭けて大いに遊ぼうじゃないか、というのがオリンピアンの基本的な姿でしょう。たかが遊びに大の大人が夢中になる。そしてそこが、なんか痛快でいい部分じゃないかと僕は思うのです。
日本のスポーツはその悲壮な部分にフォーカスが当てられてきました。スターになろうと思うと、勝ちまくるか、ドラマティックになるかのどちらかしかあり
ません。楽しそうに競技をやるぐらいなら、怪我をして涙の日々を乗り越えた姿を演じた方がいろいろ有利なのがスポーツ選手の現状です。
スポーツ選手も関係者も含めて、スポーツ界は重すぎる。もちろん中には重くていい人もいますが、そうでない人もいる必要があります。そうでないと息が詰まってしまう。
余りにも重すぎるスポーツ界は、社会からすると、1聞いたら100位言い返してきそうなエネルギーに溢れた人ばかりで、なんだか入るのもめんどくさいし、ややこしそうな世界に見えるわけです。僕も含めてなんですが。
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2010-09-19 (via yasaiitame)