“ 気がつけばワタシの野音歴はオーチャードホールと並んでしまい、一昨年はペペトルメントアスカラールと東京スカパラダイスオーケストラのダブルビルによ
る「野蛮人の夜会」、昨年が山下トリオ結成40周年コンサート、そして今年がDCPRGの活動再開。と相成った訳ですが、そのどれもが、雨と虹という自然
の力と切り結んでいたのは言うまでもありません。「野蛮人の夜会」では、演奏が始まると雨がピタリと止み、終わった瞬間に降り出しました。そして今年は、
演奏が終わると同時に(全国的に)雨が止んだのです。言葉をかえるならば、過去ワタシは、ドレスアップ推奨のコンセールで、お客様のドレスが濡れぬように
と、<あたかも雨を止めでもしたかのような経験>が何度かあり、さながら今回はその真逆になった(勿論、事前に「雨が降れば良い」とは思っていませんでし
たが)、と言えるでしょう。
ですから再びこれはつまり、かなり図式的に成りますが、ワタシは00年代の前半はスタンドアップの、つまり 強肉体的なダンスと音楽との関係を、そして00年代の後半はシッティングの、つまり強脳内的なダンスと音楽との関係を追究して来たつもりですが、10年代 からはその両者が、並列や打ち分け(今日はダンスだよ。今日は座るよ。的な、TPOが事を限定する様な)ではなく、滑らかに融合し、止揚するような状況を イメージしはじめているとい訳です。つまり、ドレスアッパーも豪雨に打たれるべきであり、レイヴァーもシャンパンとソファに沈むべきであるという、ひとつ の理念ですね。ダブセクステットとペペトルメントアスカラールの(座るか立つかという意味での)複雑さも、DCPRGと花と水の(座るか立つかという意味 での)シンプルさも、全てそうした理念に寄与するでしょう。自慰もセックスも恋愛も全てすべきですし、美食も粗食も全てすべきですし、チャラいもヤバいも 全てすべきですし、愛も怒りも慈しみも軽蔑も、爆笑も苦笑もまた同様です。諦めたり、硬化したりしてはいけない。我々に必要なのは、まずは全てを経験し、 しかる後に自分なりのグッドデザインを行う事ではないかと思っています。”
- PELISSE 菊地日記 閲覧ページ
ですから再びこれはつまり、かなり図式的に成りますが、ワタシは00年代の前半はスタンドアップの、つまり 強肉体的なダンスと音楽との関係を、そして00年代の後半はシッティングの、つまり強脳内的なダンスと音楽との関係を追究して来たつもりですが、10年代 からはその両者が、並列や打ち分け(今日はダンスだよ。今日は座るよ。的な、TPOが事を限定する様な)ではなく、滑らかに融合し、止揚するような状況を イメージしはじめているとい訳です。つまり、ドレスアッパーも豪雨に打たれるべきであり、レイヴァーもシャンパンとソファに沈むべきであるという、ひとつ の理念ですね。ダブセクステットとペペトルメントアスカラールの(座るか立つかという意味での)複雑さも、DCPRGと花と水の(座るか立つかという意味 での)シンプルさも、全てそうした理念に寄与するでしょう。自慰もセックスも恋愛も全てすべきですし、美食も粗食も全てすべきですし、チャラいもヤバいも 全てすべきですし、愛も怒りも慈しみも軽蔑も、爆笑も苦笑もまた同様です。諦めたり、硬化したりしてはいけない。我々に必要なのは、まずは全てを経験し、 しかる後に自分なりのグッドデザインを行う事ではないかと思っています。”
- PELISSE 菊地日記 閲覧ページ