“フランスは、アメリカ主導のグローバル化を意識しながらも、明らかにアメリカ式の教育とは一線を画しています。
フランスで頻繁に行われる討論の授業を見ると違いは明白です。ディベートのようにいかに相手を論理的に納得させるかというテクニックではなく、帰納法と演繹法を組み合わせながらできるだけ大きな全体像を描こうとする「共同体の文化作り」に力が注がれます。討論では、まず言葉の定義から入ります。例えば人種差別がテーマなら、最初に「人種差別って何?」と全員に話させます。すると、いろいろな意見が出るので、次に「では歴史の中から例を探してみよう」といって、奴隷制度から植民地時代、アメリカの公民権運動に至るまで長い歴史の中から事例が出されます。そして「たくさん例が出たけれど、人種差別の歴史の本当の始まりは何だろう」と問いかけるのです。結果的に、先生の補助もあって、次のような共通の合意が得られます。すなわち「18世紀に始まる植物の分類学に淵源があって、人も同じように分類できるのではないかと考えられたが、実際は遺伝子レベルでも分類はできない、だから人種差別というのは人為的に作られた概念だ」と。こうした言葉の定義を確認した上で初めて「では現在の人種差別問題について話し合おう」ということになります。”
- 6号:日米仏の思考表現スタイルを比較する (via kotoripiyopiyo)
フランスで頻繁に行われる討論の授業を見ると違いは明白です。ディベートのようにいかに相手を論理的に納得させるかというテクニックではなく、帰納法と演繹法を組み合わせながらできるだけ大きな全体像を描こうとする「共同体の文化作り」に力が注がれます。討論では、まず言葉の定義から入ります。例えば人種差別がテーマなら、最初に「人種差別って何?」と全員に話させます。すると、いろいろな意見が出るので、次に「では歴史の中から例を探してみよう」といって、奴隷制度から植民地時代、アメリカの公民権運動に至るまで長い歴史の中から事例が出されます。そして「たくさん例が出たけれど、人種差別の歴史の本当の始まりは何だろう」と問いかけるのです。結果的に、先生の補助もあって、次のような共通の合意が得られます。すなわち「18世紀に始まる植物の分類学に淵源があって、人も同じように分類できるのではないかと考えられたが、実際は遺伝子レベルでも分類はできない、だから人種差別というのは人為的に作られた概念だ」と。こうした言葉の定義を確認した上で初めて「では現在の人種差別問題について話し合おう」ということになります。”
- 6号:日米仏の思考表現スタイルを比較する (via kotoripiyopiyo)