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"ダウンタウンはもともとメジャーな芸風とは言いがたかった。事実、ダウンタウンはのちに自身の出世作となる『ダウンタウンのごっつええ感じ』(フジテレビ)を日曜夜8時にレギュラー化するという話に大きなチャンスに..."

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ダウンタウンはもともとメジャーな芸風とは言いがたかった。事実、ダウンタウンはのちに自身の出世作となる『ダウンタウンのごっつええ感じ』(フジテレビ)を日曜夜8時にレギュラー化するという話に大きなチャンスにも関わらず反対していた。松本に至っては当時のマネージャー・大崎洋に「ありえへん! その枠では俺たちの笑いは成立せえへん。絶対に嫌や! 死んでもやらへん!」と強硬に拒否したという(常松裕明:著『笑う奴ほどよく眠る』)。

当時、日曜夜8時といえば、大河ドラマが強力。そのうえ、『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』(日本テレビ)も人気を誇っていた。ファミリー層に受けなければ視聴率が獲れない枠だ。そこに自分たちのマニアックな笑いは通用しないと本人は思っていたのだ。

しかし、結果はご存じの通り。ダウンタウンはそこでアナーキーな笑いを駆使しながらも、高視聴率を獲得し、トップ芸人の一組に踊り出た。

タモリもそうだろう。もともとの芸風は“サブカルチャー”そのもの。そんなタモリをお昼の帯番組『笑っていいとも!』の司会者に抜擢し、カルト芸人から国民的タレントにしたのは間違いなくフジテレビの功績だ。

タモリを『いいとも』に起用することに決めた横澤彪は、サブカルチャーを積極的に取り入れた。

『いいとも』の構成作家を務めた高平哲郎によると、横澤は「会議は短いほうがいい」と4時半に始めて1時間で終了させたという。なぜなら、5時半に会議が終われば、夜から始まる芝居や映画を観に行くことができるからだ。特に横澤は小劇場を観に行きことを勧めた。その成果が、東京乾電池やワハハ本舗をいち早く番組に起用したことに繋がっていた(高平哲郎:著『今夜は最高な日々』)。

かつてフジテレビは「テレビ的」ではないとされていた新しい血を積極的に吸収していったのだ。そのダイナミズムこそが「テレビ的」だった。



- なぜ“ダメ”になってしまったのか? フジテレビの凋落と未来の可能性(てれびのスキマ) - 個人 - Yahoo!ニュース (via igi)

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