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- 茂木健一郎 クオリア日記: Facebookの謎 (via tscp)
Facebookのインターフェイスが、まず私にはよくわからない。一時期のウィンドウズに対して抱いていた違和感と同じように、「ごみごみした」「整理されてない」印象を受ける。「Facebookは、SNSにおけるマイクロソフトである」というのが、私にはしっくりくる表現で、SNSにおける「Apple」や「Steve Jobs」は未だ登場していない感じがする。
写真を共有することで、プライバシーの概念が変わっているとも言う。確かに、かなりプライベートな写真を載せている人が多い。しかし、個人的に、他人の生活をのぞき見するようなことに、時間を費やそうというモチベーションが湧いてこない。
何度もFacebookを好きになろうと時間を費やしてみたが、どうしても「好きのしきい値」を超えられない。SNS上で、さまざまなアプリが立ち上がって、付加価値ができるという概念はわかる。しかし、今そこにあるFacebookは、ただの「混乱」にしか思えない。
一言で表現すれば、「それを使っている時の体験の質」、experienceが、Facebookは良質なものとは思えない。なぜこれだけ多くのアメリカ人がFacebookを愛用するのか、私には、感覚的にどうしても理解できないのである。
Googleやtwitterやyoutubeに関してならば、いくらでも熱く論じることができる。Facebookについては、それができない。私にとって、Facebookは、一時期はやしたてられながら、最後までその意味がわからなかった、Second Lifeと似ていると言っても良い。
Facebookがもし未来ならば、私は何かを見落としているのだろう。あるいはまた、私にとっての未来は、まだここに来ていないのかもしれない。
”- 茂木健一郎 クオリア日記: Facebookの謎 (via tscp)