土曜日朝の番組に「管政権の経済ブレーン登場」というタイトルがあったので早速見てみた。うろ覚えモードで再現。
するとあの「増税して景気回復!」の小野善康内閣府参与登場ではありませんか。
さて、早速増税して景気回復とはどういうことなのか?と問われると小野氏、フリップを持ち出してエコポイントの効果を説明しだした。経済浮揚効果による税収が政府支出分を上回ったと(本人試算)。はあ?
いやそれ「増税して景気回復!」とは関係ないただの財政出動だし。当然のことながら司会者から「それって麻生政権の政策で、民主党になって縮小傾向にあるんですが」と指摘される。すると「私は党には関係なくアドバイスする立場ですから」と。
そりゃごもっとも。民主党の経済ブレーンが民主党にダメ出し。
エコポイントが需要の先食いではないか、永続しないのではないかとの趣旨の質問が投げられると、答えることなく逃げ、話題を変え「環境負荷の強い分野に課税でエコカー、エコ住宅に減税」なら永続的だろうと主張。
ええとですね、それは産業構造改革であって「増税して景気回復!」ではないんですが。当然コメンテーターから「それで負担が増える産業もあるし、そもそも車は買い替え時期にしか買わないのでは?」と指摘。GDP増や雇用増につながらねえんじゃないの、との当然の疑問。
するとまたもや答えることなく逃亡。話題を変える。
今度は介護にお金をつぎ込んで経済成長、という話。これは片面では納得できる。介護分野は需要に対し供給が不足しているので、「お金さえあれば」そこにつぎ込むことで内需拡大にはなる。
問題はもう片面。どこからお金を持ってくるか、つまりどの分野の増税するかということ。増税は一般的に有効需要を減らすから、下手な増税、たとえば消費税で賄うとするとかえってGDP減少、雇用減につながりかねない。
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そんな管政権ブレーンで大丈夫か? - ままならねーことこのうえねー - Yahoo!ブログ
小野善康氏がテレビで小野理論を展開だそうだ。まったく変わってねえ…。誰かどうにかしてくれ。
いや、小野理論が動学的にどうかとかなんて追っていないんだが、普通にビジネスしていて、普通に論理的に考えることができるのならば、この人の言っていることがどんなにバカ丸出しなのか分かるよね。
介護や福祉や医療や保育の分野なんてそもそもが公費負担率が4割とか6割とか8割の世界であって、公費の継続的投入がないと産業が維持できない分野だ。現在でも公費投入が思いっきりされていて、公費抜いたら即死だよ。そんな分野に追加的に公費を投入をしたとしても、自己成長なんてできるはずないじゃん!どの口をもって、国からの大量の金が投入されないとやっていけない産業が、国の成長率を高めるような成長産業になり得ると言えるのだろうか。全く意味がわからん。そもそも、そういう高い公費負担率で支えられている分野、しかもあり得ないほどの規制に縛られている分野の労働者が、アニマルスピリッツにあふれた創意工夫をする成長分野の人材になるなんて全く想像つかないんだけれど。こういった無理が通るなら、きっと税務署だって成長分野に成り得るという理論も構築できるな。まさに「無理が通れば道理が引っ込む」の典型にしか思えない。
小野氏が自分の理論を説明するのにつかった「エコポイント」は、まさにこの人の話をうまく言い表していると思う。エコポイントはまさに需要の先食いで、この人の言うことは結局、需要の先食いをしているうちに、もしかすると偶然うまくいくことができるかもしれないね、というだけなんだよね。結局、財政政策なんて、突き詰めるとそんなものだから、そういう話になるのはしょうがないとしよう。問題は、その賭け金をリターンが全く期待できない医療・福祉分野に対して投入しようとしていることなんだよ。そんな分野で賭け金を使ってしまうと、他の成長を期待できる分野が「クラウディングアウト」されるというのが普通の経済学なんじゃないの?
つうかさ、追加的な公費を投入するまえにこの介護・医療・福祉の分野の規制を無くすような提案だけをしろよ。資格とか参入規制を緩めたり撤廃したりすれば、もしかするといろいろな分野からの参入が起き、競争になって成長分野にならないとも言えなくはない。例えば、モバイル端末を活用した超効率的な危機アラートシステムとか、人の命に関わる状況を予測して緊急出動するディスパッチシステムとか、医療現場におけるトリアッジ実行計画を超最適化するデバイス等々が発明されて、それをグローバルに展開するとか。偶然を期待するにしろ、そういう試行の多様性と回数を確保して、イノベーションが出て来る確率を高める話なら理解はできるな。
なんかなあ、この人、ケインズのこの言葉にでてくる”some defunct economist”や”some academic scribbler”そのものだな。
The ideas of economists and political philosophers, both when they are right and when they are wrong, are more powerful than is commonly understood. Indeed the world is ruled by little else. Practical men, who believe themselves to be quite exempt from any intellectual influence, are usually the slaves of some defunct economist. Madmen in authority, who hear voices in the air, are distilling their frenzy from some academic scribbler of a few years back. I am sure that the power of vested interests is vastly exaggerated compared with the gradual encroachment of ideas.
なるほどな、氏の著書の副題にある「甦るケインズ」や「ケインズの復権」とは、この言葉が「甦」ったり、「復権」することか。そして、それを演出するのは他ならぬ本人だと。
(via kashino)