“以前、アフリカのどこかの社会の民族誌で読んだのだが、雨乞いの儀式というのは、日照りのピークではなく、日照りがピークを過ぎて、そろそろ雨が降りそう
な按配になった時を選んで行うらしい。したがって、その予測がただしければ、雨乞いの儀式と祈りは報われることになり、人びとはそれを雨乞いの成果として
大いによろこびあう。つまり雨乞いの儀式というのは、人びとの願望をひとつにまとめあげ、望ましい状態を先験的に「表現」するものだという。「表現してど
うなる」という見方もあるだろうが、先行きがわからない状態のなかにあっては、将来についての明確なヴィジョンがあるのとないのとではやはり大きながちが
いがあるもので、共有されたヴィジョンが希望を生み、期待を与える。いまちょうど台風が九州を通過しているところなで、もうすぐ香川にも雨が降って、この
雨乞いをやった人たちはさぞかしよろこぶことだろう。求めよ、さらば、得られんである。”
- イルコモンズのふた。 : ▼日照りと雨乞い (via ginzuna)
な按配になった時を選んで行うらしい。したがって、その予測がただしければ、雨乞いの儀式と祈りは報われることになり、人びとはそれを雨乞いの成果として
大いによろこびあう。つまり雨乞いの儀式というのは、人びとの願望をひとつにまとめあげ、望ましい状態を先験的に「表現」するものだという。「表現してど
うなる」という見方もあるだろうが、先行きがわからない状態のなかにあっては、将来についての明確なヴィジョンがあるのとないのとではやはり大きながちが
いがあるもので、共有されたヴィジョンが希望を生み、期待を与える。いまちょうど台風が九州を通過しているところなで、もうすぐ香川にも雨が降って、この
雨乞いをやった人たちはさぞかしよろこぶことだろう。求めよ、さらば、得られんである。”
- イルコモンズのふた。 : ▼日照りと雨乞い (via ginzuna)