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matsu555: マギー


"ダウンタウンDXで、オダギリジョーが子供に仮面ライダークウガに変身してと言われ、「変身するには東映の許可がいる」と言っていたのを目撃された回"

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highlandvalley: 人気ボケ - ボケて(bokete)

highlandvalley: 人気ボケ - ボケて(bokete)

"松岡修造は熱血テニス馬鹿のイメージが先行しますが、子供にテニス指導をした時に「ママに無理やり習わされたんだね? 本当はテニスをやりたくないんでしょう?」とフォームを見るなり看破して、その親をあのノリで説..."

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“松岡修造は熱血テニス馬鹿のイメージが先行しますが、子供にテニス指導をした時に「ママに無理やり習わされたんだね? 本当はテニスをやりたくないんでしょう?」とフォームを見るなり看破して、その親をあのノリで説得し、子供へのテニスの道を辞めさせた人格者の側面も持ってたりします。”

- 手動人形さんはTwitterを使っています (via toronei)

illillill: 虹裏 may

"天才とは、その人だけに見える新事実を、見ることのできる人ではない。誰もが見ていながらも重要性に気づかなかった旧事実に、気づく人のことである。"


"忘れもしない10年前、セーラー戦士役の最終オーディションで 歌や踊りなど何か一芸を披露する、という審査があったのですが、 ごくごく普通の冴えない高校生だった私は何も一芸を持ち合わせておらず..."

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忘れもしない10年前、セーラー戦士役の最終オーディションで
歌や踊りなど何か一芸を披露する、という審査があったのですが、
ごくごく普通の冴えない高校生だった私は何も一芸を持ち合わせておらず
オーディション前夜まで何を披露するか決められずにいました。

就寝前、私はとうとう思い詰め、サツマイモを半分に切ってラップで包み
彫刻刀と一緒に鞄の中に入れました。
そして当日のオーディション会場では容姿端麗で、
歌やダンスやバレエ、新体操など才能豊かな少女たちに紛れ
もうどうにでもなれと惨めな気持ちで審査員の前で黙々と芋版を彫って合格しました…

田舎から芋を持って上京した17の私は現実に打ちのめされ
神戸までの帰りの新幹線では「落ちるなら芋で落ちた。」と何度も強く思いました。
今では、芋があったから今の自分がいる、と強く思っています。
芋版で合格にして下さったお心の広い白倉さん、田崎監督には今も頭があがりません。(笑)



- DIARY | KEIKO KITAGAWA OFFICIAL WEBSITE (via joodle)

"明治vs早稲田は昔から学歴コンプレックスから負けられない明治と、格下と思っている相手に負けられない早稲田の、歪んだプライドのぶつかり合いである。"

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“明治vs早稲田は昔から学歴コンプレックスから負けられない明治と、格下と思っている相手に負けられない早稲田の、歪んだプライドのぶつかり合いである。”

- Twitter / Tsukasa Hattori (via deli-hell-me)

lemonjuice1223: 皆様の角質|藤岡みなみオフィシャルブログ「熊猫百貨店」Powered by Ameba

"音楽は耳や鼓膜のために書かれたのではない  だいぶん私の険悪な気分があらわになってきたが、さよう、私はステレオ装置など音楽の本質とはなんの関係もないと思っている。 ..."

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音楽は耳や鼓膜のために書かれたのではない


 だいぶん私の険悪な気分があらわになってきたが、さよう、私はステレオ装置など音楽の本質とはなんの関係もないと思っている。
 音楽を聴く上になによりも必要なのは、謙虚で素直な心、美しく、純なるものをもとめる心、音楽によって慰められたいという、魂の底からの願いであって、再生音のよしあしなど末の末の話だ。
 勿論、音はいいに越したことはない。淫することが不幸だといってるのです。ステレオ・マニアというのは、まず九割九分、音に淫した連中である。何サイクル以上の音が聞えたとか聞えなかったとか、そんなことどうでもいいことじゃないか。彼らを音楽愛好家だと私は思わない。ただの電気気違いだよ、連中は。
 レコード・マニア、ステレオ・マニアというのは、おもんばかるに、音楽が好きな人が、たまたま楽譜も読めず、楽器もいじれない、そういうコンプレックスを再生装置マニアになることによって解消しようとしている姿なのではないかと私は思う。
 それだったらこれは空しいことだよ。どこまでいったって原音通りの再生なんていうのはありっこないんだから。
 そんなことより、どうして心を空しくして楽器を習い始めないのか。プロになるわけじゃないんだ。今からでも決して遅くはないよ。楽器を弾くということは愉しいことだよ。楽器は決して人を裏切らない。生涯の友だちだよ。そうして、楽器を弾くということは、楽譜を通して、バッハやモーツァルトと直接つきあうということなんだよ。楽器を弾く人にたずねてごらん。例外なく彼らはこういうだろう。
「ぼくはレコードがすりきれてようが、録音が悪かろうが、あんまり気にしないほうでね。想像でおぎなって聴いちゃうから、どんなものでも愉しめるなあ」
 音楽というのは耳や鼓膜のために書かれたのではない。心に向かって書かれたのだということを今一度思い出していただきたいと思うのです。



- 伊丹十三『女たちよ!』文春文庫、1975年 (via shbttsy74)

"蟻30匹くらいつかまえて毎日砂糖あげて飼育していたらはじめはみんなで巣を作っていたけど途中から巣をつくるのをやめて毎日砂糖だけたべてボーッとしている蟻になった ニートを育てている母親の気持ちに触れた"

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“蟻30匹くらいつかまえて毎日砂糖あげて飼育していたらはじめはみんなで巣を作っていたけど途中から巣をつくるのをやめて毎日砂糖だけたべてボーッとしている蟻になった ニートを育てている母親の気持ちに触れた”

- Twitter / hkxaries_u (via kiurun)

"10: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/07/10(金) 00:43:12.76 ID:2rVpsH3hD.net お菓子数個で数万円取るぼったくり料亭やぞ 12:..."

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10: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/07/10(金) 00:43:12.76 ID:2rVpsH3hD.net
お菓子数個で数万円取るぼったくり料亭やぞ

12: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/07/10(金) 00:43:50.46 ID:iMw2Lwnj0.net
>>10
あれお菓子とお茶食べ過ぎるとすげー怒られるんよな

15: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/07/10(金) 00:44:54.07 ID:gChbkNmCp.net
>>12
何もお菓子手つけなかったら最後にババアがあめちゃんだけ寄越しおったわ

19: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/07/10(金) 00:46:08.04 ID:FY6YlF9I0.net
>>15
あめちゃんはみんな貰うやろ

27: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/07/10(金) 00:47:37.12 ID:OXL0Nq3+0.net
嬢「帰る時は飴なめてたらおばさんに声かけられんで」
ワイ「ホンマや、誰も声かけてこんわ」
西成のおっさん「お、お楽しみやったな!」ニヤニヤ
ワイ「」

34: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2015/07/10(金) 00:49:08.95 ID:TgHU8Q1t0.net
>>27
はえ~そういう配慮なんやね



- 飛田新地行ってロリ巨乳と犯ってきたンゴwwwwwwwwwwww:ニーてつVIPブログ (via tkr)

"12月中旬くらいから、毎晩のようにうちの前に泊まりで路駐するバカがいる。 おかげで、深夜に除雪車が来てもうちの前だけ除雪が中途半端になってしまい結局自力で排雪するしかない。 てなことで、昨日の夜に処刑執..."

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12月中旬くらいから、毎晩のようにうちの前に泊まりで路駐するバカがいる。
おかげで、深夜に除雪車が来てもうちの前だけ除雪が中途半端になってしまい結局自力で排雪するしかない。
てなことで、昨日の夜に処刑執行。
いつものように、エアロでキめたストリームが家の前に車を停めて、彼女連れて向かいのアパートへ入っていった。
気温は氷点下6度…….珍しく快晴で風も穏やかで星が見えている。

午後11時:気温氷点下7度第一次攻撃→バケツ3杯の水をルーフからキャビン全体にゆっくり流す。
午前0時:気温氷点下8度第二次攻撃→くみ置きして氷の張ったバケツからピッチャーを使ってドア周りに流す。
午前1時:気温氷点下10度第三次攻撃→同上のものをハッチバック付近を中心ゆっくりに流す。
午前2時:気温氷点下12度第四次攻撃→同上のモノをルーフから全体にゆっくり流す。
水を流す端からどんどん水が氷って行くのを見ると、美しい化学現象を見ているようで面白かった。
そして、遠目にも完全に氷漬けになった車ができあがった。

今朝、俺が出勤するときには、そいつらが必死にアパートから「お湯をくんで来てはかける」を繰り返していたが一向にドアは開きそうもない。
奴らは「遅刻する~」とか言いながら必死に「お湯をくんではかけ」を繰り返していた。
朝7時の気温は氷点下9度に満たない。
これだけ気温が低いと、お湯をかけてもかける端から氷ってゆくので簡単にはドアは開いてくれない。

今朝はとてもすがすがしい朝だった。



- 2chコピペ保存道場 : 毎晩うちの前に泊まりで路駐するバカ (via dc-ep)

bendelbarbies: Fuck it all

"「雑学より先に常識身につけてよ」"

" 1度だけ、自分のクラスが崩壊した経験がある。ただ、若い時で、記録もちゃんと取っていないし、その時は必死になっていたので、いったい何が原因で起こったのか不明である。諸先輩方には連日いろいろアドバイスをい..."

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 1度だけ、自分のクラスが崩壊した経験がある。ただ、若い時で、記録もちゃんと取っていないし、その時は必死になっていたので、いったい何が原因で起こったのか不明である。諸先輩方には連日いろいろアドバイスをいただいたが、結局、収束には至らなかったような記憶がある。

 その後の長い教師生活の中で、学級崩壊を間近に見た経験がある。それをここで書きたい。

 最初はある、教育に非常に熱意のある、若い女の先生のクラスで起こった。
 転勤してきたばかりで、学校や子どもの様子をよく知らない。それなのに、5年生を担任した。
 教育に対して非常に熱意のある先生だ。クラスはこうでなければならない、子どもと子どもの関係はこうでなければならない、ということで指導されていた。友だちとは仲良くするものでしょ、力を合わせあうものでしょ、ということを真っ直ぐに子どもに言っていた。
 勉強についても熱心に取り組まれていた。力の弱い子どもには、やさしいドリルを別に作ってやったり、放課後遅くまで勉強をみてやったりしていた。何度か、理科(算数)のここ、むずかしいでしょ。どうにかやさしく教える手だてはないものでしょうか、と質問を受けたことがある。
 中休みに子どもと一緒によく遊んでいた。
 ところが、6月頃から学級がうまくいかなくなった。相談も受けた。
 原因は、熱心すぎることにあると思った。上に書いたように、この先生には子どもはこうあるべきだという強い思いこみがあって、それに合わない子どもに強く指導する傾向があった。それが、少しのことでも強く指導するものだから、子どもの方でだんだん先生から離れていったわけである。
 もう少しゆとりをもたれたら、というアドバイスは差し上げたが、先生の人柄からはそれを認めるわけにはいかないようだった。一端敷いた路線を変更することは確かに危険である。
 で、先生は病休を取られ、翌年の3月には他校へ転勤された。
 熱心な先生が転勤されたことは大変残念だった。

 数年後の話である。私は6年生を担任していた。
 4年生の学年は4クラスあったが、その内の1クラスが7月頃学級崩壊した。担任の先生は年配の女の先生だったが、夏休み中に退職され、9月からの後任に女の講師の先生が来られた。上手に学級経営をされたようで、クラスは落ちついてきたようだった。学級崩壊したクラスを建て直すことができる先生はかなり力量のある先生なんですよ。そんな先生が講師でいることが大体問題です。(別の学校で、担任外の先生も入り、教務主任も入り、教頭も入り、教育委員会から応援の先生も入ったけれども直らなかった学校もある。次の年皆転勤。立て直すのは大変。)
 ところが運動会後から、4年生の他のクラスがおかしくなった。2クラスで順番に学級崩壊状態になった。子どもが先生の言うことを聞かない。授業中に教室内でボールを蹴ったり、大きな声を出したりして授業妨害をする。教室を抜け出す。掃除をしない。注意した他学年の先生を箒を持って追いかける。校長先生の顔に向けてボールをけり、当てる。校長先生の手にかみついて3針縫うけがを負わせる等々。11月頃の放課後は、連日のように職員会議が開かれ、女の先生ではだめだ、複数で対応しないとだめだ、等々、いろいろな話があった。
 1クラスが何とか落ち着いてきたら、別のクラスがまた、学級崩壊状態になった。
 ここで忘れられない事件がある。12月頃。掃除の時間に運動場で、箒を振り回して遊んでいる児童を職員室から見つけた。4年生の子どもである。運動場へいくのも何だし、ということで放送で呼びかけた。「運動場で遊んでいる児童は、すぐに職員室へきなさい。」というような内容だったと思う。放送をした直後、職員室にいた女の先生が立ち上がって私の所へきて、「放送で注意するのは止めてください。」ときつく言われた。私より10年年配の経験年数の多い先輩先生である。
 はあ?と思った。運動場で遊んでいるのはその先生のクラスの子どもである。そして、先日の職員会議で、子どもが言うことを聞かないから何とか協力して欲しいと訴えていた先生である。その先生は掃除時間中にゆったりと職員室でお茶を飲み、お菓子を食べていたのである。自分のクラスが学級崩壊状態になり、運動場で掃除の時間に子どもが遊んでおり、それを知っていてお茶か、と思ったものである。普段、教室でどんな指導をしているのか不思議に思った。
 ということで年が変わり、1月になっても崩壊状態に近い状態が続いていた。先生がわがままをやっていたら子どももわがままをするよなぁ、と思っていた。
 1月下旬頃から、校長は次年度の担任を決め始めるのだが、私が呼ばれ、5年の担任をお願いしたいと言われた。放課後に1回2時間ぐらい、3回にわたって校長先生と話をした。もちろん5年生の担任は断った。担任がわがままをやっていれば子どももわがままをやる。学級崩壊は担任が招いたことではないか。普通の教師だったら、子どもも言うことを聞くのではないかというのが趣旨である。校長先生はよくできた人で、私の言うことをよく聞いてくれた。
 だが、4月1日に担任発表があるのだが、私は5年担任ということだった。
 で、4月8日、始業式、クラス替え、学級開き、自己紹介と順に進んだ。
 数日して気づいたが、確かに5人ほど、私の言うことを全く聞いていない児童がいた。授業中に立ち歩くこともある。で、そろそろ注意しようかと思ったとその時、あれっと気づいた。始業式の日から、何かおかしい、変だと感じていたが、いわゆる「その他大勢の子ども達」の様子が変なのだ。その子達の眼が、まるで魚屋の店先に並んだ死んだ魚の目をしている。私の方をぼぉっと見ているようで、無反応。そして、その目が
「先生、私たち、先生の言うことを聞くから、あの子達を叱らないで。私たち、先生が怒っている顔を見たくないの。」
と言っている目に見えた。思わず、立ち歩いている子を叱るのは止めた。
 それで、方針変更をして、この「その他大勢」の子どもを何とかしようと思った。
 「その他大勢の子ども」というのは私が勝手に付けた名前で、勉強ができるわけではない(授業中によく手を挙げるわけではない)、全くできないわけではない(毎日放課後に残して勉強を見てやらなければならない子どもではない)、何かとても良いことをする子どもではない、また悪いことをする子どもでもない、掃除もそこそこするが要領が良いわけではない、ごく普通の子どものこと。その子達の目が死んでいることに気づいたのである。
 それから、この「普通の子」を勉強の中心に据えた。この子達が、勉強よく分かる、勉強面白い、学校楽しい、と思える学級になるように努力した。
 この子達は格別勉強ができるわけではない。既習事項はやはりすぐに忘れるのである。そこで、算数などは新しい単元に入る度に、復習を行うが、忘れていることは当然のこととして、復習を必ず行った上で指導に入った。
 具体化=単純化
 学習の内容も、より単純に、より具体的に指導した。例えば、国語の時間に登場人物の気持ちを考えるとき、「どんな気持ちだと思いますか」という問いは出さないようにした。「この人物の気持ちは○○だね。」と確認した上で、「じゃ、それは、教科書のどの言葉から分かりますか」という問いに変更した。結局は同じことを問うているのである。
 また、国語の時間には視写の時間を必ず行うようにした。これは、落ち着きのないクラスにはかなり効果的である。国語の授業は毎日ある。その毎日の国語の時間に10分間ぐらいの視写を行わせるのである。視写とは、教科書の文章をノートに写させることである。学力の低い子どもでもたいていの子どもができる学習である。視写すればその結果がノートに残る。学習の結果が残るのである。その間はしかも、黙って行うから教室が静かになる。毎日、授業中に静かになる時間が必ずあるということである。これが、他の教科の時間にも影響する。静かにしなさいと注意せずに、静かにするという態度が身につくのである。
 作文教育にもがんばった。いわゆる自由選題の作文である。少しクラスが落ち着いてくると授業ができる。
 遊びの時間もこの子達が楽しくなるように配慮した。といって何かをしたわけではない。
 6月頃には、5人の内4人までが私の言うことを聞くようになった。授業に参加するようになった。多数の力は大きい。
 あと一人である。その子は女の子で、4年生の時、学級崩壊の原因になった中心人物であった。
 その女の子も、10月下旬だったと思うが、私の所に泣いてきた。誰も遊ぶ人がいないという。助けて欲しいと。やったね。半年かかったけど、やっと全員が私の方を向いた。女の子には、わがままを言わないこと、他の人の気持ちを考えることを約束した。その約束を守るなら、○○さんに一緒に遊んであげて欲しいと頼んであげる、と言った。
 もちろん、その○○さんにわけを言って、一緒に遊んであげて欲しいと頼んだ。
 その後、卒業まで、事件は多々あったが、学級崩壊状態ではなかった。良い卒業式ができたと思っている。
 卒業式の後で、例の4年の時の担任の先生が私の所へ来て、「あの子達は元々はいい子だったからね。」と言った。「なら、崩壊さすなよなぁ、担任せぇよなぁ。」と心の中では思ったが、言葉には出さなかった。

 次の年も5年を担任した。
 学級開きの時は、「その他大勢の子」の目を見るようにした。魚屋の死んだ魚の目ではないかと注意してみるようにした。
 若干その傾向があったので、前年度と似たような指導をした。

 転勤して、転勤早々3年を担任できた時があった。3年生、いいのかな。こんな楽な学年を、と思ったが、しばらくすると子ども達の目が魚屋の死んだ魚の目をしていることに気づいた。で、聞くと前年の2年生の時学級崩壊状態であったと。その担任の先生は在籍していたので分かったが、重箱の隅をつつくようにして子どもの欠点を指導するタイプの先生である。2年生の子どもでも窮屈に思ったのだろう。

 で、学級崩壊したクラスかどうかを確かめる方法が分かった。子どもの目である。その目が魚屋に並んだ死んだ魚の目をしているかどうかである。活き活きとしていない目である。

 で、そのようなクラスを担任した時の指導法は下記の通りである。

・否定的表現をできるだけ使わないこと。
 「○○しない」という表現はできるだけ使わない。「○○する」という表現をできるだけ使う。

・その他大勢を大事にすること。
 その他大勢の子どもが学級の雰囲気を作っている。
 その子達は、基本的に先生の身方である。だから御しやすい。大勢を味方に付けると楽である。ただあまり力はないので、力を付けるように(上手に)指導する。

・分かり易い授業を行うこと。
 その他大勢の子達に分かり易い授業を。その他大勢の子達は少し力が弱いので、その子達に分かり易い授業を。
 発問の工夫。
 問い方の工夫。
 テストは、時には、その子達が100点を取れるようなテストを自作して行う。授業を聞いていれば100点が取れるテスト。

・問いは具体的に。
 問う内容:考えるに値する内容を問う。
 問い方の工夫:様子、気持ち、思い、考えを答えるのは、難しい。時、場所、誰、したことを答えるのは易しい。

・皆が大事だという姿勢をとる。
 挙手した子の指名は、順番に、全員に当たるように。かき回す子が手を挙げるときは特にそのように。

・一端決めたルールは絶対に変えないこと。
 それで、ルールはできるだけ決めないこと。
 ルールという言葉はできるだけ使わない。「決まり」という言葉にする。
 日直、掃除、給食等の当番は、ルールではない。当たり前のこととして取り扱う。

・ルールを決める場合は、子ども達に決めさせること。
 先生は、うまく行かないと思うがもんながそう思うならやってみますか、というスタンスで。
 子どもに責任を取らせる形で。もちろん、1週間後に再度話し合わせることが大事。
 PDSサイクルを回すこと。

・みんなの前で叱らないこと。
 叱られた子どもは、恥をかかされたとしか思わない。
 叱るときは、放課後、他の子どもがいない時に。
(1)そうか?と事実確認。
(2) 良いことか悪いことかと問うこと。善悪を自分で判断させ、自律を促す。先生が善悪を決めない。
(3) どうするのが良い方法か、対処法を自分で考えさせる。
(4) じゃ、やってみろ、と自立を促す。先生は見て置くからねと付け加え。
(5) 3日後(1週間後)に、うまくいったかどうかもう一度話をしよう、と振り返らせる機会を設定しておく。
(6) このことは他の人には言わないから、あなたも他の人にはいわないでね。子どもは秘密を作りたがる。特に先生との間の秘密は喜ぶ。しかし約束は万全ではない。秘密が漏れたときに、そう?ととぼけることも大事。

・みんなの前で大々的に褒めないこと。
 先生は依怙贔屓とか、揚げ足とりが始まる。
 誰?との問いには、友だちのことだから分かるでしょ、と返す。
 褒める子どもは、授業中(他の子が作業中等に)や放課後に残して、良かったよ、とにっこり褒める。

・叱るときはみんなを叱ること。
 みんなが叱られるので、叱られたことが薄まる。
 連帯責任感が生まれる。

・褒めるときはみんなを褒めること。
 「このクラスの中に、こんな良いことをした人がいます。いいねぇ。とても良いクラスです。」とか・・・。
 自分も褒められた気持ちになる。
 連帯責任感が生まれる。

・大勢で「先生!」と言ってきた時は、兵法:各個撃破で。
 順番に聞くこと。
 メモを取りながら聞くこと。そのメモは時々、皆に見せて間違いなく書いているかどうか確認させること(教務必携は使わない。後で転記する)。


 学級崩壊を内部の目から書いたので、学級崩壊の原因は担任の先生の指導方法によるような書き方になったが、そうではない。先生は要因の内、2~3割ぐらいのものである。
 原因の3割は、保護者にある。教師を信頼しない保護者が多い。それが原因である。些細なことでも、先生を信頼して、分からなければ先生に尋ねる。それをしない。子どもからの話だけで判断する、他の保護者に問う、先生に問わない。それを見ているのは子どもである。子どもも先生を信頼しない人になる。
 原因の3割は、子どもにある。先生の話を聞かない。学習障害が原因であることもあるが、保護者の育て方に多くの原因がある。先生の言うことは聞かなくて良い、というようなことを言っている保護者の子どもが学級崩壊の核になる。
 そして残りの1~2割は、地域性にある。先生を信頼しない人が多い地域、放任で育てている人が多い地域では学級崩壊が起こりやすい。
 地域の教育力は大事である。ところが保護者にその地域性を大事にしない人がいる。地域の行事に参加しない、学校の行事に参加しない。それでいて学力保証をちゃんとして欲しいとか、要求はする。
 学級崩壊状態になると子どもの学力は極端に下がることを保護者は知っているだろうか。些細なことでも担任と連絡を取り合って、先生と協力的に問題に向かう姿勢が保護者に足りない。でも・・・学校のことは学校でなんとかして欲しいと言う。それが教師不振であり、学級崩壊の原因になっていくことを知っているだろうか。そして学級崩壊になると子どもの学力は下がることを本当に知っているだろうか。わが子のために学級崩壊は何としても防がなくてはならないのですよ。
 保護者は「先生の言うことはちゃんと聞くのよ」ということを子どもに何度言っているだろうか。また、先生に「子どもはこんなことを言っているが、どうでしょうか。私にできることは何でしょうか。」と何度尋ねたことがあるだろうか。その問いが子どもの学力を保証する問いであることに気づいて欲しい。

 保護者へ
 最終的にあなたのお子さんのに対する責任はあなたが負わなければならないのです。先生が負うものではないのです。誰か他人にしてもらうものではないのです。あなたのお子さんへの教育はあなたが行っているのですよ。
 だからこの子に一番良い教育を行えるように頑張っているのです、と学校へ様々要求する人がいます。あなた自身は具体的に何をしていますか?お子さんに、お子さんの発達段階に合った、お子さんの成長を促すための、何を問いかけていますか?お子さんはその問いかけで、どう育っていますか?心配はないですか?
 教師はたかだか数年しか関わり合えません。保護者はとにかく、死ぬまでつきあうのです。がんばってください。



- 学級崩壊した後の学級担任|小学校非常勤講師のブログ (via ibi-s)

"おじさんが結婚しないから私にいとこがいない!いとこほしい!となかなかパンチのきいた言葉を姪っ子から言われ大ダメージワイ"

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“おじさんが結婚しないから私にいとこがいない!いとこほしい!となかなかパンチのきいた言葉を姪っ子から言われ大ダメージワイ”

- Twitter / 安倍川 (via syjiro)

"ダウンタウンはもともとメジャーな芸風とは言いがたかった。事実、ダウンタウンはのちに自身の出世作となる『ダウンタウンのごっつええ感じ』(フジテレビ)を日曜夜8時にレギュラー化するという話に大きなチャンスに..."

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ダウンタウンはもともとメジャーな芸風とは言いがたかった。事実、ダウンタウンはのちに自身の出世作となる『ダウンタウンのごっつええ感じ』(フジテレビ)を日曜夜8時にレギュラー化するという話に大きなチャンスにも関わらず反対していた。松本に至っては当時のマネージャー・大崎洋に「ありえへん! その枠では俺たちの笑いは成立せえへん。絶対に嫌や! 死んでもやらへん!」と強硬に拒否したという(常松裕明:著『笑う奴ほどよく眠る』)。

当時、日曜夜8時といえば、大河ドラマが強力。そのうえ、『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』(日本テレビ)も人気を誇っていた。ファミリー層に受けなければ視聴率が獲れない枠だ。そこに自分たちのマニアックな笑いは通用しないと本人は思っていたのだ。

しかし、結果はご存じの通り。ダウンタウンはそこでアナーキーな笑いを駆使しながらも、高視聴率を獲得し、トップ芸人の一組に踊り出た。

タモリもそうだろう。もともとの芸風は“サブカルチャー”そのもの。そんなタモリをお昼の帯番組『笑っていいとも!』の司会者に抜擢し、カルト芸人から国民的タレントにしたのは間違いなくフジテレビの功績だ。

タモリを『いいとも』に起用することに決めた横澤彪は、サブカルチャーを積極的に取り入れた。

『いいとも』の構成作家を務めた高平哲郎によると、横澤は「会議は短いほうがいい」と4時半に始めて1時間で終了させたという。なぜなら、5時半に会議が終われば、夜から始まる芝居や映画を観に行くことができるからだ。特に横澤は小劇場を観に行きことを勧めた。その成果が、東京乾電池やワハハ本舗をいち早く番組に起用したことに繋がっていた(高平哲郎:著『今夜は最高な日々』)。

かつてフジテレビは「テレビ的」ではないとされていた新しい血を積極的に吸収していったのだ。そのダイナミズムこそが「テレビ的」だった。



- なぜ“ダメ”になってしまったのか? フジテレビの凋落と未来の可能性(てれびのスキマ) - 個人 - Yahoo!ニュース (via igi)
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