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"STAP論文は瑕疵だらけの論文であった。その欠陥は論文の内容の緻密な分析により明らかにされた。しかし、単なる矛盾や欠損だけでは論文は崩壊しない。STAP論文が取り下げになったのは、研究論文としての一体性..."

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STAP論文は瑕疵だらけの論文であった。その欠陥は論文の内容の緻密な分析により明らかにされた。しかし、単なる矛盾や欠損だけでは論文は崩壊しない。STAP論文が取り下げになったのは、研究論文としての一体性を保てなくなるまで欠陥が見つかったからである。これだけで関係者にとって、研究者としては自分のことを許しがたい、自分の前で自分に対して屈辱的な状況であったと想像する。

研究の一体性は一つ一つの論文の中で保つものでもあり、また研究者の人生を通じて保たなければならないものである。だから研究人生の一体性というものは、研究者にとってかけがえのない蓄積であり、特に先端研究に挑戦する者にとっては、日々それを失う危険に晒されながら必死でようやく確保するものなのである。そして、自分の研究人生の一体性が失われることがあったとしたら、それはすでに研究者としての生命を失う危機ーそれはある種の誠実な人々にとっては肉体的な生命を失う危機と同じーであるといってよい。

論文作成はいうなれば常に新しいチームを編成して、その中で毎度新しい競技をするようなものである。たまたまあるチーム編成で行った競技が欠陥だらけであったからといって、その監督の全人生を否定するような社会の姿勢は正しいものだろうか。

2014年春の笹井教授の記者会見、さらには同夏のNHKによる不当と言える特集番組は、科学者としての笹井教授について幾ばくなりとも敬意を払ったか。否である。また我々科学者は、たまたまのSTAP論文にあった欠陥の原因を謎解きするあいだに、笹井教授ひいては科学者社会全体にしのびよっていた大きな危機に自覚的であったか。否である。そしてSTAP事件をニュースの受け手である日本社会のすべての人々は、科学論文についての報道が科学についてではなく、STAP論文作成チームの人間ドラマ作成に勤しんでいるという堕落して恥ずべき状況を批判したか。否である。この中の誰が、笹井教授の研究人生における経験と専門性について積極的な評価を行ったか。否である。こうして我々が至らないからこそ、STAP事件は悲劇で終わったのではないか。



- STAP事件の悲劇から反原発運動の堕落まで連なる糸(小野昌弘) - 個人 - Yahoo!ニュース (via yaruo)

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